8月20日、暑い天気でしたが、予定通り飯塚駐屯地における部隊研修バスツアーを実施しました。参加者は福岡県郷友連盟の会員と賛同者合わせて48名の3歳の子どもさんから78歳の老若男女の自衛隊大好きな方々です。9時過ぎに予定通り博多駅前を大型バスで出発、10時半には飯塚駐屯地に到着、部隊概況説明、東日本大震災活動状況紹介(動画)後、大きな国旗掲揚台の前で全員写真を広報担当の婦人自衛官に撮っていただきました。特に東日本大震災活動状況紹介ビデオでは福島第一原発地域の自衛官の献身的な不明者の捜索活動には参加者一同、目頭が熱くなりました。
体験喫食後、2組に分かれて資料館と基地内の装備品、訓練場を見学しました。
ツアー参加の井上政典さんが駐屯地研修状況を下記にアップされていますので併せてご覧下さい。
【福岡県郷友連盟の自衛隊研修会に参加してきました。】
午後1時過ぎには飯塚駐屯地を出発し、飯塚市内にある「旧伊藤伝右衛門邸」と田川市内にある「石炭歴史博物館」見学し、博多駅に向けて帰路に着きました。
道中も楽しい話題で盛り上がり、あっと言う間の博多駅18時の到着でした。
今回の陸上自衛隊部隊研修はお盆明けの残暑厳しい天気でしたが、親子連れの夏休みらしい楽しいバスツアーでした。
毎年5月27日、日本海海戦記念日として、そのゆかりの地、福岡では顕彰と慰霊の行事が行われています。今年も去る5月27日、日本海海戦108周年記念大会が福岡の筥崎宮で記念式典と日露の両艦隊が戦った海域(博多湾沖)での洋上追悼式が行われました。当時、未だ無名の小国に過ぎなかった日本が、超大国のロシアのバルチック艦隊に対し、東郷平八郎司令長官率いる連合艦隊が「Z旗」のもと、死力を尽くして戦いぬき今日の日本の繁栄の礎を築いた戦いでもありました。
今年の記念大会(兼ねて護衛艦乗艦研修)は、福岡県郷友連盟としても希望者を募り、希望会員、同伴者を含め30名以上が参加しました。
祭典は十時から筥崎宮御本殿で約300名が参列し、筥崎宮の宮司の主宰により進められ、式典では巫女による神楽の舞、詩吟の吟詠、献歌等もあり、自衛隊代表としては佐世保総監の吉田海将が「先人の偉業を受け継いで、しっかりと日本の安全と国益を守る」との決意を述べ、最後に末吉会長の「この海戦での勝利を転機に、日本は目覚ましい発展を遂げたが、その陰には多くの戦没者がいることを忘れてはならない」との請願文が読み上げられ参列者一同この日本に対する思いを新たにしました。
記念の直会の後、シャトルバスで博多湾中央埠頭に移動し、護衛艦「あきづき」に乗り、博多湾を出て海戦のあった海域近くまで行きましたが、乗艦者全員がびっくりすることがありました。沖合いからヘリ空母ともいえるヘリ11機搭載可能な「いせ」が近づいてきました。唐津港から母港呉に帰還途中で我々の洋上追悼式に参加するためでした。
我々の「あきづき」艦上では粛々と追悼式が行われ、花束を捧げその功に感謝するとともに黙とうにより、戦没者のご冥福を祈りました。海域への往復の時間は真っ白な制服の海上自衛官に艦内の見学をさせてもらうとともに、装備品の説明もしていただき、とても意義ある一日となりました。
去る4月21日福岡県郷友連盟の総会に参加し、佐世保地方総監の吉田海将の講演を拝聴する機会に恵まれました。私に速記術の技能が有れば書き留めておきたい内容でした。小郡市で聞いた志方元陸将の講演の際に抱いた印象と同じように一般人と吉田海将の「目」、識見の深さ、そのあまりの隔たりには驚かされました。海将の一言一句に教えられ、蒙を啓かれる事ばかりと表現しても過言ではなかったでしょう。
吉田海将のお話から、自衛隊の任務や機能が如何に政治と密接な関係を持ち不可分であるかを、より一段と理解致しました。しかし、失礼ながら日本の政治家の方々は吉田海将と対等に渡り合えるような、政治と軍事の関係がお分かりになっているのでしょうか。そうである事を信じたいものですが、もしそうでなければ「先生」という敬称が空虚に響きます。
吉田海将の話を聞きながら、私は元アメリカ国防次官補のアーミテージさんが「日米同盟ほど重要な同盟はない。我々はその関係を確固たるものにすべく努力してきた。」といい、「キャンベルは別だが、オバマ大統領、キッシンジャーがどれくらい日本のことを知っているというのか。」ともいい、ジョセフ・ナイさんと共著での報告書では「アメリカの国益にかなうのは強い日本だ」と明言しているのは、この自衛隊を見ているのだろうと感じました。アーミテージさんと同じ考えがある限り、まず、間違いなくアメリカは日本を手放さないことでしょう。
私も巷でよく言われる、「日米同盟の片務性」にすっかり洗脳されていたのですが、吉田海将は「領域防衛を自衛隊が、戦力投影を米軍がといった軍事機能的な分担から見ると双務性が成り立っているという解釈を示され、その同盟という関係を維持するには、海上自衛隊の能力、術力が米海軍と同等かそれ以上というのが条件になるということで自衛隊は訓練をしてきた。」と話されました。
そのような状況判断と、我が任務、求められる条件などを体系化されている現実を教えられ、「凄いものだ」の一言でした。在日アメリカ海軍の司令官がインタビュー時に「カイジョウジエイタイ」と日本語で言うのを耳にする事が有りますが、パートナーとしての信頼なのでしょう。このような自衛隊の現実に比べると「できないとは言わない事。私は出来る、きっとできる、と暗示をかけましょう。」などとマイナス思考からプラス思考の重要さを研修でやる民間企業やスポーツ合宿などのレベルは児戯のようなものかもしれません。
また海将は「我々の先輩が何を考えたか」という言葉を頻繁に使われ、現在の姿を説明されました。それは敗戦によっても途切れなかった海軍の伝統が息づいていることは誇りとするところですが、先輩から伝えられること、つまり「教育」に反応する能力を抜群に持つということではないだろうかという思いで聞いていました。それは、他民族に比べ日本人の持つ最大の優秀性と言えるのではないでしょうか。
自衛隊高官はなかなか政治的な発言はされないのでしょうが、21世紀に入り、日本を取り巻く情勢が緊張を高める中、三戦戦略で覇権を目指す中国や、近年になって息を吹き返す兆氏が強いロシアなど極東の情勢や、世界情勢について海上自衛隊はどう考えるのか是非、聞いてみたいものです。
故司馬遼太郎は「坂の上の雲」を上梓するにあたって、「海軍はそれ自体が文化であった。」と述べ、故江藤淳は日本海軍の近代化の礎を築いた山本権兵衛を描いた名著「海は甦る」で明治海軍の姿を描き、故中村悌二海将は「生涯海軍士官」に故山中勝之進大将が「君たちは隆々たる昭和海軍しか知らんだろうが、先輩たちはみんな苦労したのだ。君たちも負けずにいいものを作れ。頼りとするものは人だけなのだ。君たちだけなのだ。」と言われたと回想されています。
吉田海将の講演を聞き、大いに崩れたところもある日本の中で、連綿と続く海軍の伝統を感じさせられたひと時でした。