3月23日(月)福岡出身総理として未曾有の経済危機、混迷する政局、逼迫する北朝鮮問題など国家の威信を一身に担い命がけで奮闘されている麻生総理を訪問激励した。麻生事務所で、中野会長から郷友連盟一行が激励の言葉を記した色紙を、また佐藤僖良子理事からは「着物使節団」として世界百カ国を履歴訪問した際の感想を添えた激励文を、それぞれ秘書を通じて総理に進呈した。分刻みで行動する日程の合間を縫ってわずか数分の時間とはいえ官邸内で親しく歓談できたことは麻生総理、筆頭秘書官野田氏と昵懇の関係にある福井理事の努力で実現したものである。一行はすべての人が、テレビや新聞では見たことのない周囲を明るくするすがすがしい晴れ晴れとした笑顔に魅せられ、スッカリ麻生ファンになってしまったようだ。
一行は翌24日(火)防衛省を見学、その後靖国神社に参拝した。
総理激励の旅に参加して
理事 橋田文也
3月23日、福岡県郷友連盟、中野会長以下理事と会員合わせて10名は福井理事のお世話で桜の蕾が膨らんだ、福岡空港より定刻より20分遅れで離陸したANA246便で東京に飛び立った。
定刻より少し遅れて11時3分に第2ターミナル56番ゲートに着いた。東京は気温12℃で肌寒く薄日が差していた。モノレールで浜松町駅よりタクシーに分乗して永田町の第1衆議院会館で麻生総理の秘書の野田友視氏に出迎えを受け2Fの所狭しと書類や写真や置物がある5坪の部屋に案内され荷物を置き、持参した総理への「激励文」を会長より野田秘書に手渡して、議員会館B1Fの食堂に案内され幕の内弁当を御馳走になった。食後150m程の地下の連絡道を通り国会議事堂へ向かい1920年から17年の歳月をかけ当時の建築技術の粋を結集して、内部は国産の大理石で造られた堂々とした議事堂内を赤い絨毯を踏み見学した。
中央玄関広間には伊藤博文、板垣退助、大隈重信の銅像が三方に立っており中山忠彦、奥谷博画伯の大きな絵も掛けてあった。役員連絡室や幹事長室、理事会室や本会議場を見学し150m先の首相官邸へ向かった。
厳重なセキュリティチェックの後TVで御馴染みの110席の記者会見室を出てロビーでエレベーターを降りて来られた総理とお逢いでき「福岡から激励に来た旨をお答えすると満面の笑みを浮かべ」会員の麻生さん(ご親族)と握手を交わされていた。スマートで並外れた体力と胆力の総理は優れた閣僚の衆知で国政は旨くいくと思った。
翌日24日は8時45分、尾張藩上屋敷5万坪の市ヶ谷に建設された防衛省を広報課井上氏の案内で見学した。特に旧陸軍士官学校講堂、1945年東京裁判の法廷として使用された建物は記念館として保存されていた。65年前グアム島で戦死した私の親族も参謀としてこの市ヶ谷台への坂道を歩いていたと思うと感無量だった。
昼食は皆でグランドヒル市ヶ谷でとり13時30分より靖国神社に参詣し「我が國の為につくせる人々の名も武蔵野にとむる玉垣」の和歌が心に焼付いた。尊い命を捧げられ日本民族を守ってこられた英霊の事跡や遺品が展示してある遊就館を参拝し18時のANA265便で福岡着19時55分現地解散。
今回の旅は郷友連盟ならではの有意義な試みでトラブルもなくすべて順調だったことを報告し福井理事と幹事の方へお礼申し上げます。
4月18日福岡市パークホテルにおいて10時から県本部役員、理事及び県下各支部長等が参集して提出議題について審議、概ね原案通り可決承認され本年度事業がスタートした。
主要議題は下記の通り
議事終了後、直ちに表彰式を行い会長よりそれぞれ表彰状を授与し、予定通り10:50総会を終了した。
引き続いて佐藤僖良子女史を講師に招いて「さくらと着物」と題して約1時間講演が行われた。
日本人がなぜ着物に憧れをもつのか、なぜ美しい花や自然に心を奪わられるのか、佐藤女史は「装道礼法」の講師として香蘭女子短大はじめ、北九州市、筑紫野市、小郡市の小中学校において広く躾・礼儀作法について教育、素晴らしい伝統文化に育まれた日本人には心の奥底に潜む美しいものへの憧れがあればこそ教育により素直に礼儀作法を受け入れることができることを経験を踏まえて説かれた。
12時から祝賀式典が行われた。
式典には国会及び県市等の議会議員、自衛隊部隊指揮官、及び友好団体代表など約100名が参加。国民儀礼の後、山崎拓、原田義昭衆議院議員、吉村剛太郎参議院議員、及び地元県市議会を代表して加地邦雄県会議員、そして友好団体を代表して田村豊彦護国神社宮司よりそれぞれご祝辞を頂いた。いづれの方々も現下の国際情勢を見るに国防の重要性はますます高まりつつあるにもかかわらず未だ国論が定まらず、国家の威信を損ないかねない危惧を感じる。この為には国民の国防・安全保障に対する意識の高揚が急務であり郷友連盟へ期待するところ大であることを強調した。その後菅原陸軍墓地修復改良保存委員長の音頭で乾杯懇親会に入り岡田女性部長の明るく爽やかな司会、特に婦人部発案によるダーツゲームは好評で大いに会場を盛上げた。〆は若さあふれる力強い声で森田新常任理事の万歳三唱、鳥井副会長のお礼の言葉で滞りなく閉幕した。
尚、全九州学生文化会議のメンバー5名が支援受付や会場案内来賓接遇、祝電披露など行事運営に大活躍、しかも礼儀正しくかつ確固とした信念を持って行動しており誠に頼もしく、暗い世情に一筋の明かりを見たような思いがした。必ずや彼らが再生日本の先駆けとなってくれるものと信じてやまない。
油井2空佐の壮行会に続き、翌日の3月25日、宗像市のグローバルアリーナ体育館で高校生と一般向けの油井2空佐のショート講演会がありました。(午後1時から約半時間)
そこでは九州高校サッカー大会の試合中で油井2空佐の福岡訪問で急遽、その大会を1時間中断して、夢のある油井2空佐の話を選手全員に聞かせることになったようです。(参加者:高校生100名位、一般50名位、私も参加してきました。)
話の内容は彼が少年時代、亀のようなおっとりした少年で給食に3時間も掛かるような動作の鈍い少年だったが、防大に入ってから大きく変わったと話していました。夢を実現するための秘訣は「大きな夢を持ち、その夢を周りの人に話し、一歩一歩目標に向かって努力することだ」と高校生たちに呼びかけました。そして、「周りの人たちに思いやりを持って接することだ」と、「そうすると、周りの人も協力してくれて、どんどんと選択肢が開けてきて夢が実現していく」と話し掛けました。