1.前言
本日は二つの事をお話します。一つは台湾の現状、二つ目は日本の現状と立場、2008年の金融危機後の日本のあるべき姿についてです。12月16日の選挙では日本の混乱は収まらないでしょう。更なる政治改革が必要と思います。
2.台湾の現状
東日本大震災における台湾人の態度は、中国、韓国とは異なります。私は1988年に総統になって、憲法を修正し、総統を国民の直接選挙制としました。台湾人は400年の歴史があります。司馬遼太郎の台湾紀行にもありますが、台湾は400年の歴史の中で、1895年から日本領となり、日本の教育を受けました。児玉源太郎総督と後藤新平が台湾の基礎を、台湾を作り上げました。蒋介石が2.28暴動を起こしましたが、中国と台湾の文明の違いです。38年間の戒厳令をひき、白色テロを行いました。台湾人で初めて総統になったのが、李登輝で、クリスチャンです。蒋介石の皇帝型独裁を打ち破り、日本の明治維新と似ています。歴史の成果は上がったり下がったりします。12年間の総統の後は、若い人に継いでもらいたかった。李登輝時代の終焉とは何か。馬総統は台湾人の評価では無能との評価です。
台湾人の日本に対する評価は変わっていません。60歳から40歳までのグループでは、日本の教育を受けたグループです。台湾には5種の民族がいて、国家の名称は、法的根拠があり中華民国の名前は変えられません。また米国とは、台湾関係法による関係があります。日本とも将来の関係を構築しなければなりません。
3.日本の問題
日本については、内外両面を分けて考えなければなりません。福沢諭吉の学問のすすめの通りです。尖閣は日本固有の領土であることを政府は忘れてはなりません。社会主義国家やソ連の崩壊、コンピューターの発達等国際的環境は大きく変化しています。
国際秩序の崩壊の中での中国の干渉、中国は成金根性で、隣人への嫌がらせ、権利は主張しても義務は果たさない国です。南沙諸島ではその特徴が表れています。尖閣諸島問題では、日本と台湾の漁民の共同の漁場とすべきことで、領土問題ではなく漁業問題として処置すべきです。日本の外務省、政府は尖閣は日本の領土であり、交渉の余地はないとの発信をしなければなりません。自分の国の領土を自国の領土なぜいえないのか。国や国民を代表している大使がそのことを中国に言わなければなりません。
アメリカは、アジアでうまくいっているのは日本のみとの認識を持っています。第2次大戦の結果の不利な条約を改正し、台湾からの(友達からの)提言として聞いてもらいたいことです。
1993年ヤルタ島協定で米ソ冷戦は終結しました。しかしその後のアメリカの処理がまずかったと思います。アジアでのイラン、イラク対応、リーマンショック対応の誤り、第3勢力、新興国に対する処置等の政策が悪かったことです。
台湾は1991年のバブル崩壊後、地方銀行での外貨預金を可能としました。政治のリーダーシップとして経済政策を決めなければなりません。日本の為替が1ドル100円でした。日銀と政府は一緒になり、為替レート1ドル70円を許すべきではありません。現在は、お金でお金を買う時代になっており、日本は国際的地位は下がり続けています。坂本竜馬の船中八策を参考にすべきです。日本の現在の状況における、個人、団体に関する政策等において政治のリーダーシップが欠けています。
1999年の台湾大地震時の日本財団の支援は大変にありがたいものでした。東北大震災時、日本外務省は台湾の救援申し出を断りました。台湾は、やむをえずNPOを通じ大船渡に救援に入りました。尖閣問題に対し、日台漁業協定を結ぶ提言をしているのに政治のリーダーシップが無い状態です。
現在の日本は日本精神が忘れられています。菅総理は、大震災当日ヘリ視察を行い緊急命令もださず、古い法律でやらざるを得ないため、犠牲者が増大しました。政治家は国民を軽視しており、口だけで言って実行できない状況です。日本は明治維新から続く政治形態を変えなければならないと思います。私は台湾地震視察時は、参謀総長と秘書長のみを随行させて、現地の声を聞いて必要な事を直ちに実行しました。被災地の整理は戦場の整理と同じで、経験のないものにはできません。
日本は長期のデフレに疲れています。その中で消費税を上げると言っていますが、アメリカに80兆円の金を貸しています。日銀でこれを買えばよいのです。30兆円で東北の復興をして、50兆円で経済復興すればよいのです。為替率の改善だけで日本は復興します。日銀の規定を変えて利率を2%に上げることです。日本の政治形態は、22年間で総理大臣が18回変わっています。この状態がアメリカで起きれば暴動が起きるでしょうし中国に毅然とした姿勢を取る必要があります。
東日本大震災では国民の中に日本精神が生きていることを示しました。そして、陛下がおられます。今度の選挙後自民党がどれだけやれるか、日本、台湾関係がどうなっていくのかが問われています。
最後に中国を恐れるなと言います。日本の学者は中国人を知らないで本を書いています。中国人は第1に嘘をつく、第2に大きいことを言って相手を驚かせるという特徴があります。
日台を結ぶのは日本精神です。李登輝の基礎を作ったのは、日本の教育であり、後藤新平、坂本竜馬であり、はつらつとした精神です。
これからの日本は日本精神を取り戻すことが必要です。これからはアメリカが日本を必要とする時代になり、日本は重要な立場に立つでしょう。
日中の冷戦は始っていて避けられないでしょう。アメリカの軍事力は強大で特に航空戦力にすぐれていますが、日米同盟の在り方ではアメリカの政策を変えてもらうことが必要です。アメリカが日本を頼りにするような方向に政策変換してもらうことで、その時台湾は重要になってきます。
日本の現状を変換するためには、歴史教育は最重要です。日本精神を若い人の心に植え付ける事が必要です。日本の若い人は、日清戦争、日露戦争を知らないし、大東亜戦争は侵略戦争と教えられています。とんでもない誤りで、若い人たちに真実を伝える教育は喫緊の課題でしょう。また父兄は教育に介入しすぎで、日教組の左翼的マルクス論理と物の考え方では心と心の問題は解決できません。
日本は明治維新以来の中央集権制度を変換していませんが、現在の情勢に合わなくなってきているのではないでしょうか。日本の政治制度を思い切って変換し、道州制を導入して48県を6州に変え、総理大臣の公選制を導入すべきです。22年間に18人もの総理大臣が変わるような政治制度は、新しい制度に変換すべきでしょう。
(諸橋氏からの要約追加)
① 1987年当時、世界のGDPに占める日本のGDPの割合は約14%であった。しかし、今は同8%に低下してしまっている。(真剣且つ効果的な経済活性化対策が必要である。)
② 3・11大震災の時、台湾から日本に200億円の義捐金を送った。其の事で、日本に対する台湾の思いが理解出来ると思う。
③ 今の日本には、政治的リーダーが欠けている。(安倍次期首相がどこまでやるかによって、この評価が変わる可能性がある。)
④ 3・11 の時、(日本政府は)「緊急法」を出すべきであった。
⑤ 今の日本には、「日本精神」が忘れられている。
⑥ 蒋経国は私を知らなかった。しかし、私が「日本教育」を受けていたから、蒋経国の目にとまった。
⑦ 日銀は一体誰の為に仕事をしているのか?
⑧ 今の日本は、日本を伸ばして行く形になっていない。
⑨ 日本には、「茶道、華道、書道…剣道、柔道、空手道…」等の、多くの「…道」が有る。何事に付いても、その道を究めようとする考え方、姿勢は他の国々には無いもので実に素晴らしい。
⑩ 戦時中、台湾から、軍用機生産に従事する為に、約8,400名の青年が「高座」へ行って頑張った。
⑪ 日本の若者はしっかりしている。
⑫ 私の基礎を作ってくれたのは、日本の教育です。
⑬ 日中は、何時(冷戦が)「熱戦」になるかも知れない。(と考えるべきである。)
⑭ 日本は、しっかりした「歴史教育」をすべきである。
⑮ 「日本精神教育」を再開すべきである。
福岡県郷友連盟が主催しました「台湾親善訪問の旅」が平成24年12月10日から12日の間、二泊三日で実施されました。
目的は「李登輝元台湾総統表敬と旧き良き日本(台湾)に出会うこと」でした。
本計画の切掛けは、福岡県郷友連盟の会員でもあり、福岡李登輝友の会・台湾研究会事務局長の永嶋直之氏の進言で、「李登輝さんは『自衛隊OBの皆さんと是非お会いしたい』と希望されています。」とのお誘いからでした。
早速、福岡県郷友連盟の友好団体等に計画を呼び掛けたところ、自衛隊OBは田母神元空幕長はじめ、元陸将補1名、元空将補2名、元空佐1名、予備自衛官1名他、協力団体の皆さまが集まっていただき、ご夫妻同伴を含め総勢32名の大訪問団となりました。
出発は12月10日で出発地は福岡(26名)、大阪(1名)、東京(5名)の3箇所ですが全員が台北の桃園空港で合流し、専用バスで台北郊外の淡水に移動し、予定時間15時から第一の目的でもある李登輝元総統を表敬することができました。
李元総統は前日までは、体調不調で、一週間ほど休んでおられたそうですが、我々の訪問団に会うために、気力で回復されたようです。しかも、89歳とは思えぬほどの熱弁スピーチ並びに質疑応答を我々のために流暢な日本語で2時間の予定を30分延長してまで実施していただきました。
「私は22歳まで日本人でした。それは私の誇りです。」と紹介された後、日本の現状を憂いて頂き、「早く日本人は誇りを取り戻して下さい!」と懇願されました。
参加者一同、涙に咽びながら、日本人として頑張らなければと誓い合いました。
【李登輝元総統講話の要旨】
【李登輝元総統との質疑応答】
1日目の夕食は台北市内のホテルで台湾料理をいただきながらの親日家の蔡焜燦氏のグループの方々と交流・会食いたしました。蔡焜燦氏は李登輝元総統の友人でもあり、司馬遼太郎の「台湾紀行」の現地案内をされた方だそうです。大変日本語が流暢で、日本の歌や軍歌を何曲も披露してもらいました。
2日目は台北から日本製の新幹線に乗り、台南まで行き、専用バスで『飛虎将軍廟』を参詣し、昼食後、赤嵌楼見学経由で烏山頭ダムで有名な八田與一祈念公園見学、墓参しました。
その後、嘉義まで移動し、神様になった警察官森川清次郎が祀られる富安宮参詣しました。
その後、台中のホテルまで移動し、ホテルで二日目の懇親会。戦前、高座郡で現在の厚木地区で戦闘機製造に携わった高座会の方々と広東料理を楽しみました。
僅か2日間の台湾旅行、親日の台湾の人々とのお付き合いですが、明治以降の台湾併合から大東亜戦争終戦までに尽力した日本の偉人が大勢いたということと、その統治は素晴らしかったと思われている台湾人が多数おられる事実を目の当たりにしました。
最後の3日目は台中から再度新幹線に乗り、台北に到着、最後の訪問地、台北の郊外にある三芝郷にある明石総督墓地を参拝しました。小雨模様でしたが、第7代台湾総督に着任した明石大将は大正8年、公務の為本土へ渡航中の洋上で病となり郷里の福岡で死去しました。「もし自分の身の上に万一のことがあったら必ず台湾に葬るように」との遺言によって、遺骸は福岡から台湾にわざわざ移され、台北市の三板橋墓地に埋葬され、事後、現在の地に改葬されています。この小雨は明石大将の台湾の思いと任地半ばに倒れた無念さの明石大将の涙であるように参加者一同は感じました。
その後、台湾市内で最後の昼食をとり、それぞれ、各飛行場から日本への帰途に就きました。1日目の李登輝元総統の「早く日本人は誇りを取り戻して下さい!」とのお言葉が日本人として身に染みた旅行でもありました。
皮肉にも、我々の帰国の12日に北朝鮮が大陸間弾道ミサイル発射実験をやり、16日には衆議院総選挙投票で自民党が圧勝しました。李登輝元総統のお言葉の重要性を強く感じた次第です。
最後に、参加者の感想等掲載いたします。参加者全員が異口同音に、意義ある旅行であったと綴られております。
【田母神氏の感想(ブログ)】
【参加者の感想】
【吉田団長お礼の言葉】
【堀本正文 様】
今日の展示飛行、いずれも胸熱でしたね。
とりわけ、堀本的には、F2あげあげな解説入りの展示飛行。グッと来ましたね。
もっともっと注目されても良い機体だと思うし、NCWの実装も精力的にやってよいと思いましたね。それから、T-4のピトー管。今日は格納庫で目の前で見ることができて良かった。… そして、最高胸熱は、UH-60JとU-125Aの救難飛行展示。
行きのバスの中でもお話しましたが、救難はとても重要なミッションです。
今日の展示飛行でもUH-60Jの超素晴らしいホバリング。その周辺を周回飛行するU-125A。
戦時の救難ではその周辺を護衛の戦闘機や艦艇が救難を護衛する。平時あっても彼らの出動は実戦なのです。要撃(スクランブル)も実戦なのですが、惨事を起こさないように相手を鎮圧抑止することが第一の目的に対して救難はすでに災難が起こっているわけで、それ故に侮れない任務であると熱く思います。
1機のジェット戦闘機を飛ばすためには70〜80人スタッフが直接関与している。と聞いたことがあります。誰もが誰かのために、という気持ちはどこでも重要ですね。
ブルーインパルスの曲技飛行の最初から最後までを観ていて、その飛行技術のすごさもさることながら、徹底した形式美の追求を含めた集団的な美学の追求は精神的な強さにつながっていると思いました。
自衛隊という閉じてなんでも出来る組織を知れば知るほど、一般社会においても仕事というものに貴賎はなく、誰もが誰かのために無駄なことなど無く仕事をしているんだ。ということがよく分かります。
一見無駄が多そうでもそれにはその理由があるんですね。
ということを今の就活をしている若い人達に知ってもらいたいですね。
自衛隊員にならなくとも社会のために働くという心がけが備わるだけで随分と物の見方は変わってくると思うのです。
【竹下直美様】
今日は寒さも吹き飛ぶ素敵な飛行を見せていただきありがとうございました。
マイクロバスでブルーインパルスを間近に見たり(行きがけにご説明いただいた1mの管も見えました!)、吊り上げ吊り下げ体験も堪能して大満足の1日でした。
私でもスルスルと吊り上げで下さるのは隊員の皆様の日頃の訓練の結果なのですよね。あれは子供だけでなく大人が参加してこそ有り難みがわかると思いました。
【板花たか子様】
とても感動しました。
たしかに、寒かった、しかし、それをも耐えれる、ショーでした。また、行きたいです。
郷友連盟のみなさま、ありがとうございました。