9月11日午後、吉田郷友連盟会長と博多湾停泊中の潜水艦くろしおの見学会に参加してきました。14時に博多中央埠頭から15人乗りの小型船で能古島と志賀島中間沖に停泊中の海上自衛隊の潜水艦「くろしお」に乗り移りました。
艦長は渡邊2等海佐、排水量2700t、乗組員70余名、水中速力20Ktです。
添付の写真は撮影許可済みの写真です。
艦内の写真撮影禁止、内容について国家秘密事項にて残念ながら公開できません。
1時間程の見学でしたが日本を守っている精鋭潜水艦の見学でした。
機会がありましたら、是非皆さまにも研修していただきたい意義ある見学でした。
福岡県議会、市議会議員 殿
平成24年度から使用する中学校教科書の採択について(お願い)
各議員の皆様には日頃から福岡県郷友連盟の活動に対するご理解とご支援を頂きありがとうございます。「誇りある日本の再生」を目指すため、引き続き皆さまのご協力を得て日本の真の再生に尽力したいと考えております。
さて、標題の中学校教科書採択問題ですが、福岡県内の現在の中学校教科書(歴史・公民)は自虐史観を優先する教科書が多く使用されています。
また、平成18年に教育基本法が改正され、文科省による初の検定結果が3月発表(7社)されて平成24年度から使用される中学校教科書選定の最終段階として、各地の教育委員会による「採択」作業が行われています。
一度採択されるとその教科書が教育委員会管内の中学校で4年間使用されることとなります。
予定では採択時期は8月末と期限は迫っております。(県外では既に採択を決定した教育委員会もあると伺っております。)
「日本の誇るべき歴史・文化・伝統を後世に伝える。」目標を持つ福岡県郷友連盟では、この教科書採択について座視することができず、教科書展示会で7社の教科書を精査し、その評価を元に先日7月7日付で県内の全教育長宛に添付の要望書を提出いたしました。
当連盟の評価の結果は新教育基本法と学習指導要領に準拠した内容となっている教科書は、自由社と育鵬社の2社のみでした。
しかし、61箇所に宛てた要望書に対する返信は現時点では皆無です。
このような福岡県内の状態では自虐史観を優先する教科書が今回も多数の教育委員会で採択されかねません。
このような状況を危惧しまして、日頃から我々の活動をご理解、ご支援いただいている議員の皆さまに最後のお願いをすることといたしました。
教科書採択の権限は各教育委員会にあります。将来の日本の宝である子供たちに正しい歴史観、国家観が持てるような自虐史観のない教科書を採択してもらうよう各教育委員会に呼び掛けて頂きたくお願い申し上げます。
添付資料:「平成24年度から使用する中学校教科書の採択について(要望)」
7月2日(土)梅雨の真只中でしたが幸い天気に恵まれ、総勢38名の皆さんが参加して予定どおり9時30分に福岡市天神日本銀行前を貸切バスで出発しました。
最初の訪問先『伊都国歴史博物館』までの道中、特別参加いただきました九州歴史観光戦略研究所の井上政典代表(歴史ナビゲーター)から九州が天孫降臨 日本国誕生の地であることを数々の神社、地名の由来などを紹介して講話され、参加者一同身近に存在する史実を初めて聞く思いでした。
『伊都国歴史博物館』では、約1時間にわたって係の庄野さんの説明がありました。周辺に存在する約60箇所の古墳の中で日本最大と云われる銅鏡、装身具などが出土した平原古墳は女王の墓であると推定される説明があり、その古墳内のレプリカの前で紹介されました。その展示されている出土の鏡始めその展示室の全てが国宝になっていることには驚きました。その他の出土展示品(鋤や鍬)から弥生時代に農業が行われていたことを確認できました。
昼食は、博物館に隣接する「伊都ファームパーク」で地元の食材を使った郷土料理を体験しました。
平原古墳公園では、古代史研究会副代表でもある稲葉事務局長の案内で『王の墓』を見学し墓前で記念撮影。
平原古墳公園からは、志摩町小富士~船越地区までの旧海軍航空隊遺跡の案内を、船越行政区の中田健吉区長にお願いしました。
JR前原駅北方「加布羅」交差点先、小富士海軍航空隊東門があった地点を確認して、航空隊本部付近に建てられた「記念碑」と唯一残っている木造の「兵舎」を下車確認しました。
「記念碑」前では、当時この地で訓練を受けられた予科練習生甲飛第14期6名の方々が、海軍旗を掲げて記念撮影をされました。
寺山地区では、戦車用樽モービルとガソリンの貯蔵と戦線への補給基地としての重要拠点となった小倉陸軍兵器補給廠小富士集積所門柱と防火用水槽など、久家・船越地区では、大東亜戦争終期に、水上飛行機「瑞雲」と零式水上偵察機改修機で編成された最大の水上機攻撃部隊第634海軍航空隊玄界基地本部跡(記念碑など展示品)、烹炊所竃跡などを見学し、殆ど知られていない史実に基づく当時の状況を聞いて感銘を新たにしました。
玄界基地は秘匿基地と云われていますが、本土決戦に備えて米軍機からの爆撃を交わすため滑走路や軍施設を使用しないで水上機は森や林の中に隠廠し、兵員は民家に分宿し、出撃時には本部前に指揮官以下の兵員と民間人が集まって見送ったということです。
帰路の車中では、長年安全保障問題に取り組んでこられた産經新聞九州総局の野口裕之総局長に、我が国の安全保障体制について現在東日本大震災で災害派遣に従事している自衛隊・自衛官の置かれている立場や処遇について豊富な例話を上げて講話していただき、参加者全員が熱心に聴講し、質問も沢山出ました。