7月2日(土)梅雨の真只中でしたが幸い天気に恵まれ、総勢38名の皆さんが参加して予定どおり9時30分に福岡市天神日本銀行前を貸切バスで出発しました。
最初の訪問先『伊都国歴史博物館』までの道中、特別参加いただきました九州歴史観光戦略研究所の井上政典代表(歴史ナビゲーター)から九州が天孫降臨 日本国誕生の地であることを数々の神社、地名の由来などを紹介して講話され、参加者一同身近に存在する史実を初めて聞く思いでした。
『伊都国歴史博物館』では、約1時間にわたって係の庄野さんの説明がありました。周辺に存在する約60箇所の古墳の中で日本最大と云われる銅鏡、装身具などが出土した平原古墳は女王の墓であると推定される説明があり、その古墳内のレプリカの前で紹介されました。その展示されている出土の鏡始めその展示室の全てが国宝になっていることには驚きました。その他の出土展示品(鋤や鍬)から弥生時代に農業が行われていたことを確認できました。
昼食は、博物館に隣接する「伊都ファームパーク」で地元の食材を使った郷土料理を体験しました。
平原古墳公園では、古代史研究会副代表でもある稲葉事務局長の案内で『王の墓』を見学し墓前で記念撮影。
平原古墳公園からは、志摩町小富士~船越地区までの旧海軍航空隊遺跡の案内を、船越行政区の中田健吉区長にお願いしました。
JR前原駅北方「加布羅」交差点先、小富士海軍航空隊東門があった地点を確認して、航空隊本部付近に建てられた「記念碑」と唯一残っている木造の「兵舎」を下車確認しました。
「記念碑」前では、当時この地で訓練を受けられた予科練習生甲飛第14期6名の方々が、海軍旗を掲げて記念撮影をされました。
寺山地区では、戦車用樽モービルとガソリンの貯蔵と戦線への補給基地としての重要拠点となった小倉陸軍兵器補給廠小富士集積所門柱と防火用水槽など、久家・船越地区では、大東亜戦争終期に、水上飛行機「瑞雲」と零式水上偵察機改修機で編成された最大の水上機攻撃部隊第634海軍航空隊玄界基地本部跡(記念碑など展示品)、烹炊所竃跡などを見学し、殆ど知られていない史実に基づく当時の状況を聞いて感銘を新たにしました。
玄界基地は秘匿基地と云われていますが、本土決戦に備えて米軍機からの爆撃を交わすため滑走路や軍施設を使用しないで水上機は森や林の中に隠廠し、兵員は民家に分宿し、出撃時には本部前に指揮官以下の兵員と民間人が集まって見送ったということです。
帰路の車中では、長年安全保障問題に取り組んでこられた産經新聞九州総局の野口裕之総局長に、我が国の安全保障体制について現在東日本大震災で災害派遣に従事している自衛隊・自衛官の置かれている立場や処遇について豊富な例話を上げて講話していただき、参加者全員が熱心に聴講し、質問も沢山出ました。