ここ2週間ほどの中近東、北アフリカの騒乱の報道に接していると、国の安全保障というものは外敵からの侵略を撃退するという要素と同時に、国内の治安、民心の安寧というものがいかに大事か痛切に思い知らされます。その点日本は、いろいろの批判や欠点もありながら2000年以上に亘って治安と国内の安定には成功してきました。それは、いつの時代を取っても、天皇という権威と日本語という日本の文化伝統を伝える手段が存在していることから証明できます。
しかし、近年その日本にも内部からの崩壊の萌芽が有ることも否めません。最近の犯罪を見ていると、昔と少し傾向が違ってきている側面があるように思われます。
おれおれ詐欺、高齢者を狙った詐欺、身内の年金をもらい続けるために死亡届を出さない、あるいは肉親の遺体を山野に放棄する等、「道徳心の喪失」が原因と思われる事件が多すぎます。そして、より深刻なのはその瑞々しい感性と、包み込む母性で「社会の潤滑油」(アメリカ人の表現ですが)であるはずの女性が加害者であるという事例が増えていることです。
生活水準や性質は違え、民心がすさんでいることは中近東や北アフリカと変わりが有りません。
一体、市場原理主義、成果主義と竹中平蔵さんが主導した経済イデオロギーも「道徳心をちょっと下げたら儲けは増える」と言った昔からの原理を証明しているだけです。評論家の日下公人さんがその著書「道徳の土壌無くして経済という花は咲かず」で主張されたことが、リーマンショックの張本人アメリカでも肯定され始めていることが最近のニュースを見ていると分かります。
リビアのカダフィーさんはじめかの地の指導者たちは、その地での文化が創りあげた道徳心が有りませんでした。日本的な表現をすると武士道で言う『惻隠の情』がなかったのです。しかし、「惻隠の情」や慎み深さが我が国から消滅しつつあることは事実でして、ソ連のスパイではないかなどとその批評は様々な故瀬島龍三さんが土光臨調の対談で述べられているように「恵まれない人、不遇な人を見たら可哀想だなという心が自然にわいてくる心を養う教育が絶対必要だ」という趣旨を述べられていましたが、その正論に対し今のテレビでの学習塾のコマーシャルや子供達の話題を取り上げた報道内容を見ると、人より一頭地を抜いた能力でないといけない、そうでないと価値が無いような印象であり価値観は一つあるような印象です。人々に注目されない人間は駄目だと言わんばかりで、こうした風潮に刷り込みがされた人間が鼻もちならなくなるのは理の当然でしょう。「自分に優しく、他人に厳しく」「他人の苦しみなら百年でも我慢する」人間が増え「隣に蔵建ちゃ、わしゃ腹が立つ」と言った嫉妬心は助長されるだけです。
「親が戦前教育を受けている子供はまだ救いようがあるが、親も戦後教育で育ったその子供は手がつけられない」という老教師の言葉はむべなるかなという思いです。
このような時世だからこそ間さんの提供された「素晴らしき哉、日本」が光彩を放つのではないでしょうか。