【シニア大学塾・防衛講座】
■講師:九州歴史観光戦略研究所代表 井上政典先生
■開講日時:令和2(2020)年1月24日(金)18時~20時 (17時30分開場・受付)
■受講料:2千円
■会場:西南コミュニティセンター・2階会議室
■共催:福岡県郷友連盟・九州歴史観光戦略研究所
※受講ご希望の方は080-5602-1586 永嶋宛お申込み下さい
■申込先:TEL080- 5602-1586
またはE=Mail: ntwsasia@nifty.com
定員30人につき必ず事前にお申込み下さい!
〒819-0013 福岡市西区愛宕浜2丁目1-11-307
シニア大学塾・塾長 永嶋直之
出土遺品
「硫黄島」は大東亜戦争末期(1945年2月19日から3月26日)に発生した、最大の戦闘が行われた悲劇の島です。海兵隊を主力とする11万の米上陸部隊を帝国陸軍栗林中将指揮下の2万1千名の将兵が迎え撃った戦でした。36日間に及ぶ激戦の結果、我軍は守備兵力2万1千名の内約2万名が戦死、米軍は戦死約7千名、戦傷約2万2千名の犠牲を出しました。硫黄島の戦いは、大東亜戦争後期の島嶼戦闘において、米軍地上部隊の損害が日本軍の損害を上回った稀有な戦闘であったと同時に、米国が第二次世界大戦で最も人的損害を被った戦闘であったと米戦史に記録されています。
硫黄島は東京から南方約1,250㎞の位置に在る、東西8キロ南北4キロ面積22平方㎞、最高地点は海抜170mの擂鉢山という平坦な火山島、行政区分は東京都小笠原村に属しています。島民は、戦前は主に硫黄採掘に従事する人々が千名ほど居住していましたが、現在一般住民は無、海自、空自の自衛隊員と基地の保全にあたる工事関係者のみとなっています。したがって入島には東京都と自衛隊の許可が必要です。民間人の上陸許可は、基地建設関係者、火山活動・気象観測のための学術調査員、旧島民や遺族・硫黄島協会などによる慰霊や戦史研究者、戦没者の遺骨収集・本土帰還事業の関係者に限られています。
硫黄島は日米両軍にとって要の島でした。米軍にとってはB29 による日本本土爆撃を効率的に行うために不可欠な最前線、我国にとっては最後の砦、硫黄島を失えば本土防衛は絶望的になります。だからこそ、栗林中将以下2万人余名の将兵は日本の国土と国民を守るために最後まで戦い抜ぬき玉砕したのです。硫黄島の戦いから今年75年、改めて先人の英雄的行為に思いを馳せ、称えるべきではないでしょうか。
弊塾の共同主宰者井上政典さんが昨年11月26日から12月11日まで15日間、日本戦没者遺骨収集推進協会主催の遺骨収集団に参加されました。民間機の快適の対極にあるC-130軍用輸送機に揺られて3時間という空路、この時期でも気温は30度前後、40度以上の地下壕内での遺骨採取という苛酷な状況下での体験等から得られた、貴重な知見と帰国を渇望するご英霊への想いを披歴いただきます。
因みに私も硫黄島への空輸飛行で機長を務めた空自将校から、「帰り便は空荷のはずなのに、行きより操縦桿が重たくなることが度々あった、それはご英霊の搭乗に違いない」と聞いたことが有ります。
(後ろの海が爆沈場所の馬公港)
軍艦「松島」は帝国海軍の二等巡洋艦で明治25年4月竣工、2年後の日清戦争では連合艦隊旗艦を務めました。明治37年からの日露戦争においては第三艦隊第五戦隊に所属して、翌年5月27、28日の日本海海戦に臨み偉大な戦果を挙げました。巡洋艦「松島」は明治41年海兵35期少尉候補生を乗せて遠洋航海の途上、寄港した台湾澎湖島馬公港において明治41年4月30日爆沈しました。殉職者は乗組員370名中207名、その中には陸軍元帥大山巌公爵の嫡男大山高候補生も含まれておりました。慰霊碑が馬公に殉難者之碑が佐世保に建立されました。
戦前は帝国海軍の主催で慰霊祭が行われ、東郷平八郎元帥が祭主を務められたこともあります。戦後は台湾澎湖県等により慰霊祭が営まれてきましたが、慰霊祭に日本人の参加はありませんでした。爆沈110年の今年、9月24日、台湾の澎湖島蛇頭山慰霊碑前で慰霊祭を行うに当たって日本人有志の参加を依頼され、福岡県郷友連盟が本慰霊祭参加のツアー(参加者23名)を組んだものです。東京組、大阪組の皆様を合わせると約70名の方々が慰霊祭に参加され、日本人として大変心強くまた誇りに思うところです。その慰霊祭に参加するために三泊四日の行程を組み、日台親善の台湾訪問団の旅となりました。 以下、その旅の概要について写真付きで報告いたします。
○1日目(9月23日):福岡空港(吉田団長以下16名)、関西空港(エルドリッヂ博士)、羽田空港(田母神29代航空幕僚長以下6名)がそれぞれ台湾に向けて出発。台湾の松山空港で合流し、23名の訪問団を結成して国内便で澎湖島の馬公空港に到着し、ホテルに直行。夕食会は海鮮料理。井上さんの司会で全員の紹介、田母神氏の挨拶で盛り上がる。
訪問団結団式(台湾松山空港)
○2日目(9月24日):午前中は澎湖島観光で島の西端の西嶼西台(日本軍要塞跡)から跨海大橋、林投公園(日本軍上陸記念碑:昼食会の時間が迫り確認できませんでした。)を見学。
午後は本番の3箇所の≪軍艦「松島」爆沈110年慰霊祭≫に参列
・14時~18時 (仏教14時から:龍山寺、神道・仏教15時半から:*蛇頭山慰霊碑前、道教17時から:温王廟)
*蛇頭山慰霊碑前:戦後始めて日本人が参加する慰霊祭で浜風の強い中、粛々と催行。
・奉納(福岡):1.松島遭難に関する報告書奏上:福岡県郷友連盟会長 吉田邦雄
2.献花:第29代航空幕僚長 田母神俊雄氏、エルドリッヂ博士、
西川京子氏(元国会議員)、山本香代子氏、白木大五郎氏
・玉串奉奠(福岡):吉田邦雄団長、田母神俊雄氏、
第36代自衛艦隊司令官 香田洋二氏、エルドリッヂ博士、稲葉敏(幹事)
・18時30分~21時 日台合同懇親会(日本側70名、台湾側20名)
合同懇親会は来賓として元国防大臣の蔡明憲氏、澎湖県の県知事ほか多数の関係者も参加され、日台友好の親睦会となりました。蛇頭山慰霊祭の主催者、許光輝氏から「佐世保鎮守府と馬公要港部の姉妹港締結」希望のアピールスピーチが印象的でした。
龍山寺慰霊祭(菅野泰紀氏鉛筆画謹呈)
温王廟慰霊祭(道教式)
佐世保鎮守府と馬公要港部の姉妹港締結幕
慰霊祭会場支援金募金箱進呈
○3日目(9月25日):午前中は島内観光組(バス18名)と*(注1)海軍基地表敬組(ワゴン車5名)に分かれてホテルを出発。11時に馬公空港で合流し、松山空港に向けて出発。
1時間弱で松山空港着、昼食後、14時頃*(注2)パネルディスカッション会場の台湾大学校友会館に到着。3時間に渡る熱いディスカッションの後、ホテルに移動し、チェックイン後、ホテル内の夕食会場に移動、2回目の日台合同懇親会に参加。懇親会もパネラー始め、台湾側からディスカッション参加者が増え、大変盛り上がる台湾訪問の最後の懇親会となりました。
*(注1)海軍基地表敬
・9時30分~10時30分 馬公港近隣の海軍基地146艦隊司令官(呉立平海軍少将)を(注3)自衛隊OB4名とエルドリッヂ博士が表敬しました。
表敬懇談場所は(注4)フリゲート艦(「田単」PFG-1110)内の会議室で司令官他約10名ほどの幕僚が待っていました。席上には軽いデザートが置かれていましたが飲み物のみで他に手を付ける暇がありませんでした。進行は司令官挨拶、幕僚ブリーフィング、質疑応答、艦内見学で1時間弱の行程でした。写真撮影禁止のため、添付の写真以外はありません。質疑では吉田団長の挨拶後、香田提督(36代自衛艦隊司令官)から潜水艦を中心として作戦上の必要性について詳しい説明で司令官も戸惑ったようですが、海軍も潜水艦の性能向上に努力しているとの返答でした。日台米の共同訓練の必要性については相互に理解を深めました。即日の写真入のプレゼントと刺繍の名前付きの略帽プレゼントには驚きました。定刻、基地をワゴン車で出発しましたが馬公の飛行場までは案外時間が掛かりました。11時前には飛行場で観光組と合流することが出来一安心しました。
(注3)参加者:吉田団長(元陸将補)、田母神元空将(29代航空幕僚長)、
香田元海将(36代自衛艦隊司令官)、稲葉幹事(元1等空佐)、
エルドリッヂ博士(在日米軍沖縄海兵隊司令部の元外交政策部次長)
(注4)成功級フリゲート艦:ウィキペディアで確認下さい。
ガッツポーズ(艦尾)
*(注2)パネルディスカッション
・14時30分~17時30分 パネラーは台湾側は蔡明憲氏(元国防大臣)、林彦宏氏(台湾安保協会副秘書長)、日本側は田母神元空将、香田元海将、米国側はエルドリッヂ博士、司会は井上政典氏で熱い議論が3時間続きました。また、参加者は福岡組始め東京組からも4人、台湾側から10人以上が参加し、総勢40名以上にもなりました。保全上、このディスカッションは非公開とし、情報が某国に漏れないよう配慮しました。
参加者側にも台湾から呂秀蓮前副総統、張旭成前台湾安保協会秘書長、日本側も西川京子氏(元文科省副大臣)も参加され、ディスカッションに加わってもらいました。
テーマは「中国の台湾侵攻を如何にして防ぐか ~日台米の防衛協力の可能性~」です。
熱い議論の内容は井上政典氏が編集して集広舎から出版する予定にしていますので期待して下さい。
パネラー(台湾側2名、日本側2名、米国側1名)
○4日目(9月26日最終日):9時ホテルを出発、9時45分から外交部台湾日本関係協会会長 邱義仁・元行政院副院長(副首相)を訪問し全員が懇談に加わりました。前日のディスカッションの成果を質問形式で邱会長に日台問題と解決策を提言しましたが、流石元副首相だけあって全てに丁寧に答えてもらいました。一番印象になった邱会長の言葉は「日本政府に働きかけているが国交がないという理由で全て断られています。あなた方の努力に期待したい。」と・・・訪問団一同、日台で一番ネックになる問題は日本にあることを自覚した次第です。この懇談も予定時間を1時間も超過しましたが台湾側も我々団員も文句を言う人は誰もいませんでした。それ程両国にとって意義深い懇談会となりました。
懇談の時間を延長したため、午前の予定していた免税店のショッピングは午後に延期して圓山大飯店で昼食、午後はショッピング後、松山空港(羽田へ)から桃園空港(福岡へ)へバスで送ってもらいそれぞれ帰途に就きました。今回の台湾訪問は密度の深い貴重な旅行となりました。(文責:稲葉)
邱義仁会長左と蘇氏右(通訳)右端は陳総領事
8月10日(木)朝は心配していた天候も曇り空でしたが研修には最適の天気になりました。
参加者も博多駅前出発バス45名欠席者なしの参加者は玖珠駐屯地の戦車体験搭乗等充実した一日の研修でした。
今回の研修は夏休み期間の子ども達も参加し、思い出に残る体験になったものと思います。
参加者の皆さん、ご苦労様でした!