2020年8月3日
特別寄稿
皆様
李登輝総統がお亡くなりになりました。台湾の人々は悲しんでいらっしゃることでしょう。
現代の政治家の中では、一頭地を抜く政治家どころか、世界でも最高峰の大政治家であらせられました。
李登輝先生の器(見識、経綸、能力、そして度胸)に匹敵する政治家は、戦後の日本にはおりません。
李登輝先生は本物のstatesmanでした。
巨象と大鯨のような中国に、一歩も譲ることなく台湾のアイデンティティを貫かれた功績は、東洋史における輝きです。巨象と大鯨の迫りくる怒涛の前に、寄らば大樹の陰を良しとする、現代日本の政治家に身習わせたい肚の坐った大政治家でした。
「台湾がやられたら日本にも実害が出る。だから台湾問題は日本問題。」故岡崎久彦先生の持論でもありました。その岡崎先生が大いに讃えられたのが、李登輝先生でした。
まさに、100年に一人出るかといったスケールの、 国を越えて心から尊敬できる大政治家でした。ご冥福をお祈りしたいと思います。
令和2年7月30日
守山
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2020年7月31日
特別寄稿
今年2月牛乳を誤嚥されて肺浸潤を起こされて入退院を繰り返されていた李登輝台湾元総統が、昨7月30日午後7時24分頃入院先の台北栄民医院で逝去されました。享年97歳。その人生はまさしく台湾と、台湾国民に捧げられたものでした。今日の確固たる民主主義国家台湾を築かれた本当の『国父』と呼ぶに相応しい生涯でした。かつて米ニューズウィーク誌は、その台湾特集号の中で「ミスター・デモクラシー」との「称号」を与えましたが、中国の専横がなければノーベル平和賞に値する業績、とは中国を除く世界の心ある人々の一致する評価ではないでしょうか。
京都帝国大学で学ばれた李登輝元総統は日本語で考え、学び、伝えることのできる唯一人の外国大統領でした。なぜなら自ら語っておられるように『私は22歳(1945年8月15日)まで日本人として育った』かただったからです。『安倍首相よ、尖閣問題で正義を貫け!』と明言喝破されたこともありました。「武士道解題」など数々の日本語による著作を通じで、また訪日の折に触れて我国に対する提言や、若い世代への叱咤激励など寄せられました。
当福岡県郷友連盟は憂国の理念を共にする李登輝元総統との交流を深めるべく、平成24(2012)年12月及び平成27(2015)年4月に表敬訪問団を派遣、親しく懇談の機会を持ちました。切っ掛けは対中国防衛を共にすべき自衛隊のジェネラル(将軍)や将校達に会いたい、意見交換したいとのご本人のリクエストによるものでした。その期待に応えて5名の将軍と将校をお引き合わせしました。お土産に「そうりゅう型潜水艦」の模型を進呈したことも今となっては良い思い出です。今後進められるであろう『李登輝祈念館』が完成した暁には贈呈者の銘板付き展示がされるのでは、と密かに期待しています。
李登輝元台湾総統閣下の逝去に際し、当会と当会に集うもの、さらには日本国と国民への、長年のご指導とご恩顧に感謝申し上げ、謹んで哀悼の意を表したいと思います。
令和2(2020)年7月31日
福岡県郷友連盟会長・退役陸将補
吉田邦雄

潜水艦「そうりゅう」進呈

潜水艦「そうりゅう」

潜水艦「そうりゅう」銘版
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2020年1月15日
お知らせ
【シニア大学塾・防衛講座】
■講師:九州歴史観光戦略研究所代表 井上政典先生
■開講日時:令和2(2020)年1月24日(金)18時~20時 (17時30分開場・受付)
■受講料:2千円
■会場:西南コミュニティセンター・2階会議室
(福岡市早良区西新6丁目西南学院大学東キャンパス内)
■共催:福岡県郷友連盟・九州歴史観光戦略研究所
※受講ご希望の方は080-5602-1586 永嶋宛お申込み下さい
■申込先:TEL080- 5602-1586
またはE=Mail: ntwsasia@nifty.com
定員30人につき必ず事前にお申込み下さい!
〒819-0013 福岡市西区愛宕浜2丁目1-11-307
シニア大学塾・塾長 永嶋直之

出土遺品
「硫黄島」は大東亜戦争末期(1945年2月19日から3月26日)に発生した、最大の戦闘が行われた悲劇の島です。海兵隊を主力とする11万の米上陸部隊を帝国陸軍栗林中将指揮下の2万1千名の将兵が迎え撃った戦でした。36日間に及ぶ激戦の結果、我軍は守備兵力2万1千名の内約2万名が戦死、米軍は戦死約7千名、戦傷約2万2千名の犠牲を出しました。硫黄島の戦いは、大東亜戦争後期の島嶼戦闘において、米軍地上部隊の損害が日本軍の損害を上回った稀有な戦闘であったと同時に、米国が第二次世界大戦で最も人的損害を被った戦闘であったと米戦史に記録されています。
硫黄島は東京から南方約1,250㎞の位置に在る、東西8キロ南北4キロ面積22平方㎞、最高地点は海抜170mの擂鉢山という平坦な火山島、行政区分は東京都小笠原村に属しています。島民は、戦前は主に硫黄採掘に従事する人々が千名ほど居住していましたが、現在一般住民は無、海自、空自の自衛隊員と基地の保全にあたる工事関係者のみとなっています。したがって入島には東京都と自衛隊の許可が必要です。民間人の上陸許可は、基地建設関係者、火山活動・気象観測のための学術調査員、旧島民や遺族・硫黄島協会などによる慰霊や戦史研究者、戦没者の遺骨収集・本土帰還事業の関係者に限られています。
硫黄島は日米両軍にとって要の島でした。米軍にとってはB29 による日本本土爆撃を効率的に行うために不可欠な最前線、我国にとっては最後の砦、硫黄島を失えば本土防衛は絶望的になります。だからこそ、栗林中将以下2万人余名の将兵は日本の国土と国民を守るために最後まで戦い抜ぬき玉砕したのです。硫黄島の戦いから今年75年、改めて先人の英雄的行為に思いを馳せ、称えるべきではないでしょうか。
弊塾の共同主宰者井上政典さんが昨年11月26日から12月11日まで15日間、日本戦没者遺骨収集推進協会主催の遺骨収集団に参加されました。民間機の快適の対極にあるC-130軍用輸送機に揺られて3時間という空路、この時期でも気温は30度前後、40度以上の地下壕内での遺骨採取という苛酷な状況下での体験等から得られた、貴重な知見と帰国を渇望するご英霊への想いを披歴いただきます。
因みに私も硫黄島への空輸飛行で機長を務めた空自将校から、「帰り便は空荷のはずなのに、行きより操縦桿が重たくなることが度々あった、それはご英霊の搭乗に違いない」と聞いたことが有ります。
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