☆JERUSALEM
●ヘルツェルの丘軍人墓地(献花)
●外務省:外務次官ニシム・ベンシトリット氏(前駐日大使)表敬訪問
●ヤド・バシェム(ホロコースト記念館)
●エルサレム市内観光(ヤッフォ門、旧市街、嘆きの壁、メア・シャアリーム、展望山など)エルサレム:Crowne Plaza Hotel泊
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3日目も首都エルサレムの予定がぎっしり詰まっていてホテル出発は7時45分です。
以下、写真を中心に説明したいと思います。
両国国歌斉唱動画
(動画ダウンロードに数分掛かる場合があります。)
広場の周りにはイスラエル国家に捧げた約2万名の兵士と歴代の大統領、首相のお墓が整備されています。(お墓の回りには配水管から供給される給水で降水量の少ない丘にも萎れることのない草花が咲き誇っていました。)
外務次官スピーチ内容
ベンシトリット外務次官は6年も日本駐在大使をやっておられ、大変親日家でもあります。昨日までシンガポール、タイ国の出張中でしたが、我々訪問団を出迎えるため、前日の夕方帰国され、本日は安息日で外務省が休日にも拘らず出勤されたものです。
我々の質問にも丁寧にお応えになり、当初40分程の予定が2時間近くにもなりました。
以降の予定を短縮せざるを得なくなりました。
(名前が”SENPO”となっているので、イスラエルの知人に”CHIUNE”に変更を依頼)
杉原千畝は大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人のユダヤ人の避難民を救ったことで知られる。
遅い昼食をアメリカン・コロニーホテルで取り、いよいよ3宗教の聖地、イエルサレムの旧市街に入ります。迷子にならないようイスラエルと日本の国旗の付いた帽子を配布された。
最後は計画外ではありましたが、日本人のご夫妻が日本人留学生のお世話をしている学生寮がマクヤセンターだそうです。学生さんがイスラエルの翼を合唱してくれました。
「イスラエルの翼」合唱動画
エルサレムの最後の晩のホテルに東京組み、福岡組を含めた半数の団員の未着のトランクがやっと届いた。やっと新しい下着にお目にかかった団員もいました。
しかし、非情かな、今回の企画の永嶋代表のトランクはこの日も届かなかった。
企画外の話題をここで紹介します。筆者の稲葉の先輩、宮内さんの紹介で、「エルサレムに行ったら是非、ミナ・ヤンコ女史に会ってきて下さい。」と言って20年前以上の彼女の電話番号のメモを渡されていました。私はヘブライ語は勿論、英語も不器用です。しかし、何としてもエルサレムの最後の晩なので、せめて電話位しなければならないと思っていました。その時、今回の企画調整役でご尽力頂き且つ今回のツアーに全行程お付き合いして頂き、しかも部署部署で通訳もして頂いた神藤先生(下記写真右側)が手を差し伸べて頂きました。(実際は20年前の彼女の電話番号が変わっており、電話不通でしたが、イスラエル経験者の団員参加者、児玉さんがホテルと調整してくれて新しい電話番号を調べてもらいました。)結果、神藤先生のヘブライ語通訳のもと、下記の写真の通りミナ・ヤンコ女史とお会いすることが出来ました。奇跡だと思いました。彼女にはお孫さんもおられ、現在は杉原千畝の研究者の一員として世界を講演で駆けづり回っておられるキャリアウーマンであることも判りました。日本大好きな女史でもあり、有名な糸川博士とも懇意であり、イスラエルのホロコースト記念館元副館長も経験された方でした。
3日目も素晴らしい旅行と経験の連続でした。(しかし、トランク無しの1名の団員の試練も継続中です。)
この記事へのコメント
ミナ・ヤンコ女史には2015.11.4~8に福岡の講演会に講師として招聘いたしました。
細部は下記参照下さい。
https://www.facebook.com/events/739443196199837/
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”イスラエル国防視察団旅行記”を全て読んでみて下さい。