1月5日、福岡県郷友連盟の吉田会長他、役員代表は地元でもある福岡市の高島市長を年頭挨拶で訪問しました。
短い時間でしたが、日本の古代では福岡は日本の国防の最先端の地、防人の地でもあるとの認識でこれからの福岡を担う若い世代の育成に福岡市を挙げて尽力したいとの決意で施政の推進と協力を誓い合いました。
写真は市長挨拶時の記念写真です。
平成26年陸軍墓地慰霊祭にあたり本墓地の改修保存に当たる会を代表して謹んで慰霊の辞を申し述べます。
当地には明治27年8月の日清戦役での戦病者を祀る為の陸軍墓地として定められ、ついで日露戦役・第一次世界大戦時における青島戦・西比利亜戦役・満州・上海事件・支那事変での戦病者の墓がそれぞれ別々に建てられていたのを、昭和10年に当時福岡城内にあった歩兵第24連隊の第19連隊長上村大佐が最上段の現在地にそれぞれをまとめて大きな石碑とする事とし、市民の協力のもと現在の形となったものである。大東亜戦争の戦没者碑だけは、墓ではなく碑となって戦後建立された。場内には他にドイツ兵2名の墓・ガ島関係・ビルマ雲南方面関係の碑もあります。
戦前は陸軍が管理していたが、終戦後は戦後の風潮として一時顧みられない時期であった。
平成17年3月20日午前10時53分福岡県西方沖地震が発生し、当墓地にも被害が発生した。そこで毎年慰霊祭を主に担当してきた福岡県郷友連盟が修復を計り、諸官庁に依頼したが反応が無く、止むを得ず修復改良委員会が結成され、広く福岡市民に浄財を求め、先ずは危険な石碑のズレ復旧を行った。この段階を一くぎりとして、以降は福岡県偕行会が中心となった委員会で、本命である各墓内の点検と修復に全力を傾注し、暑い日も寒い日も一丸となって各墓内の点検と修復に全力を傾注し、暑い日も寒い日も一丸となって各墓の一柱一柱を修復申し上げたのであります。
その結果それまで公称八千六百柱と言われていた英霊は実に一万六千百六十四柱をも存する事が判明し、平成二十年十二月六日折からの吹雪のさなか修復落成式を行い、改めて全英霊に感謝しつつ落成を申し上げた次第でありす。
国の命令によって戦い、そして亡くなった方々に対しては、国は誠意をもって対応すべきと考えますが、まだまだ不十分であります。
現在の日本の目の前には北には北方四島を返さないロシヤ、核脅威感邦人拉致の北朝鮮、我が領土である竹島を占領の韓国、西と南では軍備拡大を誇り尖閣・沖縄を狙う支那等々難問が山積みであります。
この時に当たり本日は改めて私共は英霊の皆様に心から感謝しつつ慰霊を申し上げる次第であります。
ここ福岡陸軍墓地において戦没者慰霊祭を執り行うにあたり謹んで祭文を捧げます。本日の慰霊祭は、福岡県郷友連盟主催で、福岡県英霊にこたえる会、日本会議福岡、福岡県偕行会、福岡県海友会、福岡県神社庁並びに陸軍墓地石碑修復委員会の協賛のもとに執り行っているものでございます。
ご遺族、戦友会をはじめ国会議員、県・市の議員の皆様、現職自衛官及び諸団体の代表そして多くの会員、一般の方々等、過去最大となる多数の方々のご参加を頂いております。ご出席の皆様に対しまして改めて感謝申し上げます。
ここ福岡陸軍墓地は、明治、大正、昭和の各時代において我が国の独立と繁栄のため、又日本民族の安泰を念じつつ国のため、郷土のため、尊い命を捧げられた方々の墓地です。各時代に思いを馳せます時新たな感謝と痛恨の情が胸に迫って参ります。
この陸軍墓地には十一基の墓碑があり、総勢一万六千余柱の英霊が祭られておられます。先の大戦から六十九年が経過しました。この間日本は同盟国とは云え他国に国の防衛を託して、ひたすら経済的繁栄を追求して地球上で最も安全な国、国民全体が豊かな生活を送れる国と云われるまでに発展致しました。この繁栄は、英霊の皆様の尊い犠牲の上に成り立っていることを忘れてはなりません。
現在の世界に眼を向けますと、シリア内戦やイスラム国の氾濫を始めとする中東地域の不安定やテロとの戦いが続いています。一方国内に眼を移しますと、衆参の安定多数を確保した安倍政権の獅子奮迅の働きにより、国内経済は好転しはじめ、安倍総理の世界外交の成果も現れております。
しかしながら、教育の荒廃により国民が日本人としての誇りや自信を喪失してしまっている現状が見られます。又外交安全保障面では、我が国固有の領土である尖閣諸島に対し、中共の公船が領海侵犯を繰り返し、竹島は韓国に、北方四島はロシアに不法占拠されて、解決のメドも付かない状況が続いております。
このような時に当たり、私ども郷友連盟は、誇りある日本の再生を目指し、英霊の顕彰、国防思想の普及、日本の文化や伝統の継承を中心とした活動を更に活発化し、日本再生の精神的支柱となれるよう努力してまいる覚悟でございます。
在天の英霊におかれましては、祖国の姿や世界情勢をご照覧のうえ、我が国の進路やあり方に対してご加護を賜らんことをそしてご遺族の皆様のご多幸を祈念しまして追悼の言葉といたします。
平成二十六年十月十九日
祭典委員長 福岡県郷友連盟会長 吉田邦雄