「誇りある日本の再生」を合言葉に


そこが聞きたい!インタビュー
「誇りある日本の再生」を合言葉に―
郷友連盟の目的と活動とは

福岡県郷友連盟 会長
吉田邦雄

戦後、いわゆる平和憲法によって鬼っ子的存在に貶められた自衛隊。その存在が再評価されたのは東日本大震災での自衛隊の献身的な救助活動だった。また、民主党政権の国益・国防意識の無さを目の当たりにした国民の意識も変わってきた。

ルーツは在郷軍人会
─福岡県郷友連盟とは社団法人日本郷友連盟の福岡県支部ですね。日本郷友連盟の成り立ちを教えてください。
吉田 昭和二十年までは徴兵制があり、十八歳になれば軍隊に行きました。そして、福岡師団、小倉師団、久留米師団など地域毎に部隊が編成されました。福岡師団は中国、久留米師団はビルマに行き、久留米師団は七割から八割の方が戦死されました。三年から五年で徴兵が終わって、内地に帰ってからは昭和二十年まであった在郷軍人会で戦地で亡くなった方の慰霊や懇親会をしていました。戦後もそれを引き継ぐ形で郷友会として続きましたが、当時、全国に二百万人以上いた皆さんは二十代、三十代と若く経営者や会社の営業などで現役バリバリの方が大多数で、経済的にも政治的にも強い集団でした。
昭和二十五年に朝鮮戦争が始まり、朝鮮特需で日本が復興し始め、昭和三十年には復興の道筋が見えてきました。その頃、在郷軍人会を全国組織として統一しようという動きが出て、昭和三十一年に日本郷友連盟ができました。それまでは地方の郷友会でした。

─戦前からの組織がそのまま続いてきたということは、歴史は古いですね。
吉田 各県に支部があり、大目的としては「誇りある日本の再生」があります。
具体的な行動方針としては三つを掲げています。まず、日本の国のために戦っていただいた英霊の方々を大事にすることです。二つ目は日本の歴史、伝統を継承することです。英霊の顕彰については、市町村が管理している陸軍墓地のお祀りの支援をしていて、歴史、伝統の継承では、顕彰館、歴史館などのサポートをしていて、平原遺跡の遺物を管理する施設として、博物館をつくるということに協力しています。また、パンフレットをつくって、市民の方をご案内して、学芸員に説明をしてもらう史跡研修もしています。

自衛隊を肌で感じてもらう
─埋もれてしまった歴史もあり、それを見て、説明を聞くということは、子どもも大人も認識を新たにすることに繋がります。伝統の部分ではどのような活動を。
吉田 女性部の副部長に佐藤僖良子さんという装道をしている方がいて、礼法を教えています。彼女は礼法の資格を持った講師で、香蘭女子短期大学などで教えています。福岡県の装道の責任者でもあります。安倍元首相が教育基本法を改正してくれたお陰で、校長先生が週に一時間、自由に科目設定できるようになりましたので、礼法教育の需要が増えてきました。特徴的なのは、小学校などで学級崩壊などが言われていますが、礼法教育をするとすぐに良くなることです。また、一年間礼法教育をすると、そのクラスは学力テストの結果が十パーセント上がるというデータも出ています。まず、人の話を聞くようになり、集中力がついた結果だと思います。礼法は正に日本の伝統だと思います。

─教育をすれば、直ぐに結果が出るということは、元々日本人として持っているということですね。
吉田 だからこそ東日本大震災の後、被災者が立派な行動をして、世界中から驚嘆される結果になったのだと思います。
─教育の中に、そういったものを取り込んでいけば、スポンジが水を吸うように子どもたちは吸収するのでしょうね。
吉田 東日本大震災では自衛隊から聞いた話ですが、避難所で自衛隊がご飯をつくっていると、お母さんたちや中学生が手伝ってくれるのはもちろん、配膳になると自然とお年寄りを優先して配っていたそうです。
─お年寄りをいたわるといった行動がとっさに出てくるのも、日本人の美徳ですね。
吉田 郷友連盟では、「国防意識を高揚させよう」とも言っていましたが、これは言葉が固すぎて女性部長からも「それでは駄目」と言われましたので、「国を守る意識を高めよう」と言っています。これは尖閣諸島問題により、皆さんに受け入れやいものになったと思います。
具体的な活動としては、年に二回、市民の方をお誘いして自衛隊研修をしています。先日は百十名が参加して、定員漏れの人が二十人出る程、興味を持っていただきました。年齢は様々で三分の一は女性です。内容は自衛隊学校で空の守り、陸の守りについてのブリーフィングをしてもらい、装備を見せてもらうというものです。訓練の様子や基地見学、隊員が食べている部隊食も食べさせてもらいます。現在四年目になります。
初年度一回目には佐世保に行って、インド洋に向けて出向する直前の燃料補給船を見学して、海軍カレーを食べました。脚気予防のために日本海海戦のころからの伝統として毎週金曜日に出される海軍カレーですが、とてもおいしかったです。二回目には山口県に行きましたが、山口県は日本で一番総理大臣と元帥が出ている県です。山口駐屯地には戦前から残る建物があって、それが記念館になっていて、そこには朝鮮総督をされた方の記念コーナーもあります。そこには退任して日本意帰ってくる時に朝鮮の女性たちから贈られた、一畳分程の大きさの刺繍がありました。これは如何に善政を施していたかという証拠だと思います。
─そういったものを実際に見て、肌で感じなければ、自衛隊が何をしているか、分からないままです。
吉田 航空自衛隊築城基地については毎年やろうと考えています。航空基地は飛行機展示会も兼ねていて、ブルーインパルスも来ます。普段見られない航空機の姿を見られるので、希望者が多いです。築城基地航空祭には二十万人が押し寄せますが、その前日の土曜日には予行演習をしていて、それらの模様は家族や地域の障害者施設に限定して公開されますが、郷友連盟も参加しています。

「自衛隊は国の最後の砦」
─戦後教育で自衛隊は「鬼っ子」のような扱いをされていましたが、国防意識が日本人に出てきた今、尊敬の眼差しが向けられるのかもしれません。
吉田 憲法に規定がなく、いじめられ続けてきた自衛隊は、それらに耐えて演習をしながら、実力を養成してきて、世界のどの軍隊もが驚く程、優秀になっています。今回の東日本大震災で「自衛隊は国の最後の砦」と皆が言いましたし、天皇陛下のお言葉では最初に自衛隊の名が上がりました。
国民にも自衛隊に対する尊敬や信頼、「自衛隊がなければ国は守れない」という意識が広く浸透していると思います。私は陸上自衛隊でしたが、現役の時に既に八五パーセントの人が「自衛隊は必要」と答えていたので、今はもっと高い数字になると思います。反対する人がいて当然だとは思いますが、自衛隊に対して「必要」という意識が強くなっていると思います。

─ところで現在、福岡県の会員は何人程ですか。
吉田 普通会員が四百二十名です。自衛隊OBから始まったのですが、今は三分の一程で、市、県、国の議員の方も入っていただいています。法人会員をつくったのは活動資金を集めるためで、インターネットによる情報発信の必要性を感じて、ホームページを制作した時でした。ホームページによる情報発信を始めて三年目になります。一時、「保守」カテゴリーでは三千五百程あるサイトの中で、十一位まで行きました。今は二十位くらいで安定しています。平均アクセス数は三百から四百といったところです。
─歴史があり、自衛隊のパイプは太いので、他の団体に比べてできることがたくさんあるように思います。今後の活動の展望は。
吉田 ひとつは日本の教育や行政を変えるには、政治の中で変える必要があるので、私たちの主旨に賛同してくれる国会議員を国会に送り込むことで、既に政治団体として郷友政治連盟で登録しています。これまで参議院議員の佐藤正久さんなどの応援をしてきましたが、今後は現在浪人している自民党議員の人たちが多くいますから、その人たちとしっかり話をして主旨に賛同してくれる人に推薦を出して、郷友政治連盟が応援をしていることを公開したいと思っています。
政治活動ができない自衛隊OBの隊友会の人たちにも郷友政治連盟に入ってもらって、活動を広げたいと思っています。その時には防衛団体連絡協議会として、平たく言えば、「自衛隊を応援する人」を登用していきたいと思っています。
─基本的には法律を変えなければならないので国政が中心ですね。
吉田 もうひとつ展望としては、自衛隊研修を市民の方に広めることです。と言うのも研修に参加したどの方も「初めて見た」と言います。それはどの基地に連れて行ってもそうです。そして、リピーターになる方も多いです。嬉しいことですが、あらゆる人たちに協力してもらって広めていきたいです。参加費はバス代も含め四千円、大学生は昼食代の千円のみです。
史跡研修を広めることも今後の展望のひとつで、昭和十九年生まれの私も含め、学校で教えられていませんので、日本がすばらしい歴史を持っていることを広く知ってもらいたいです。私はたまたま防衛大学に行って、教わりましたが日本の歴史を知らない人は多いですからね。

自虐史観からのいち早い脱却を
戦後、GHQにより、自虐史観が教育の場を含め植え付けられました。
吉田 平成九年頃にマッカーサーの日本占領の機密文書が開示され、それを見て驚きました。日本は強く、マレー半島でもフィリピンでもアメリカは負けました、硫黄島では米海兵隊が日本兵よりも多く戦死しました。アメリカは強い国を恐れますから、日露戦争が終わった頃から、起こり得る大日本帝国との戦争へ対処するためのアメリカ海軍の戦争計画・オレンジ計画が始まっていた様です。日本の成り立ちから研究し、日本を弱体化するにはどうすればいいのかというものです。各大学では日本語学科をつくり、日本の歴史を学び、日本を弱体化するための研究をしていて、それを実行したのがGHQです。
彼らがやったことは、まずは憲法です。僅か二週間でつくられたと言いますが、私はそれ以前につくられていたと思います。そして、日本の強さは家族制度にあるとして、核家族化や嫡男の家督相続を廃止して、家長制度をなくします。財閥も解体します。宗教とは違うものですが、精神的な基盤となっていた神道を禁止し、国からの補助をなくします。教育制度も変えられます。
昭和二十年から昭和二十七年までは、アメリカの占領下にあって、食料支援など助かった面もありますが、日本という国はありませんでした。人道的な支援には感謝もありますが、アメリカは日本という国を壊す処置をたくさんしました。私はそれが許せません。ヨーロッパでは有史以来、大体三十年毎に戦争があって、国境が変わることもしばしばで、彼らは戦争後の処理に慣れていました。その度に憲法は変わるのが当然という感覚です。イギリス、フランスなどの政治学者、憲法学者は日本が主権を回復したら、それまでの憲法は直ぐに廃止されるだろうと思っていたはずです。
しかし、血のメーデー事件などがあったように、共産党勢力が伸びてきて、日教組ができ、GHQが労働法もつくりました。マスコミもそれに乗り、GHQの公職追放の影響から追放された共産主義者の人たちが大学で学長などを務めるようになりました。特に大学は今でもその影響が強いです。これは学部長の推薦がなければ教授になれないからです。東大、京大、九大では今でも共産主義者の研究の場、巣窟のようになっています。そこで教わった人たちがそうなってしまうのは仕方ありません。
─アメリカでは戦前から日本の研究が進んでいて、GHQの占領政策では真綿で首を絞めるように日本弱体化を進めた。
吉田 実際に五十年後には、アメリカの思った通りの日本になってしまいました。家族制度も神社もなく、憲法はそのまま。軍隊を持たないことが常識になっていて、教育は日教組によるめちゃくちゃなものです。国民は自信がなく、国に対する誇りを持っていません。日本は国としての自己主張もなく、アメリカが練りに練った計画が五十年程で花開いたということです。私は機密文書を読んで、このことを強く感じましたし、郷友連盟に入るきっかけになりました。世界に類を見ない日本の歴史の継続や皇室の存在は守るべきで、それは世界中に誇っていいことです。
─日本の歴史教育では、近代史に蓋をしている印象があります。「戦争は日本が悪かった」という教育が蔓延っています。
吉田 アメリカによる七年間の占領下での検閲の結果です。アメリカを悪く書くことは一切許されず、「日本が悪いことをした」ということが、その七年間で定着しました。元々、昭和十六年に日米戦争を始めた時には、日本は決して悪くないと思います。アメリカが仕掛けてきたことで、当時の日本はアメリカからじゃ口を締められれば、日本は成り立たない国でした。当時、欧米諸国の植民地になっていなかったのは、日本とタイだけでした。また、日本の満州や朝鮮、台湾の統治は国内法に則って、日本国内として振興させました。欧米の植民地政策とは全く違ったものでした。
─日本の場合は合邦的なものでしたし、日本がアジア諸国を開放したという評価もありますね。
吉田 戦後、言われているような「日本がやった悪いこと」も、軍隊が行っているのですから多少はあったと思いますが、国の発展や教育レベルを上げたり、文化を興したりという面では評価されてもいいものです。例えば、韓国では李王朝では国民の識字率は十パーセントもなく、ほとんどが貧しい農村で、国民は食うや食わずの生活でした。日本がやったことは、日本と同じ国内法で日本のお金で鉄道、道路、港湾の整備をして、学校を建設し、義務教育制度をつくるということでした。
戦後、韓国の学者が土地台帳を精密に調べた結果、日本人が韓国人から土地を奪ったという例はひとつもなかったそうです。創氏改名についても、満州などで、中国人から馬鹿にされるのを嫌った人たちが日本名を名乗ったということもあり、強制ではなかった面もあります。典型的な例では、士官学校にも全く差別せずに入校させて、優秀な人は韓国名のままで師団長にまでなっています。
─そういった歴史の知識、認識を改めるというところからでなければ、誇りは取り戻せませんね。
吉田 横浜市や石垣市のように首長選挙の時から歴史認識のしっかりした人を応援して、教育長や教育委員を指名してもらうことです。大変だと思いますが、少なくとも学習指導要領で「日本の国を誇りに思うような教育をすること」と書いてありますから、それに合う教科書を設定するように教育長が言えば、可能だと思います。東京都の一部の区と横浜、石垣などではそれに成功しています。日教組の組織率が二〇パーセント程に下がってきていても、ノンポリの人が多いので思うように活動できないそうです。
次に教科書が採択されるのが四年後ですので、それまでに自虐史観を排除する活動を是非やっていきたいです。国会議員の方にもよく言うのですが、文科省が自虐史観の教科書を認定していること自体がおかしなことです。

吉田邦雄氏プロフィール

昭和19年2月16日生まれ
福岡県久留米市出身

経歴
昭和42年 防衛大学校卒業(11期生)
昭和42〜48年 第40普通科連隊(小倉駐屯地)
昭和55〜59年 第4普通科連隊中隊長(帯広駐屯地)
平成2〜5年 第21普通科連隊長・駐屯地司令(秋田駐屯地)
平成5〜8年 自衛隊大分地方連絡部長
平成9〜11年 福岡駐屯地業務隊長
平成11年12月 陸将補にて陸上自衛隊を退職
平成11〜16年 株式会社ファビルス 大分支社長で退職
平成18〜21年 財団法人自衛隊援護協会福岡支部長

役職等
福岡県郷友連盟会長、福岡県銃剣道連盟会長、福岡県隊友会相談役、日本会議福岡副理事長・県南支部副支部長

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