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【 福岡陸軍墓地の由来】

当陸軍墓地は、明治の初期には3段の地形になっていました。2段目には、日清、日露戦役の戦没者の墓が集まっていました。日露戦役で捕虜となり病死したロシア人、第1次大戦で青島で捕虜となり福岡に送られ病死した2名のドイツ人もこの地に葬られました。

 昭和6年の満州事変以降、戦死者が増加するにつれ、陸軍墓地の改修が行われました。当時の第24聯隊長であった櫻井徳太郎少将が、勤労奉仕の学生、一般市民とともにこの改修を推進しました。
 その後、昭和10年から逐次、『日清戦役戦病没者之墓』(森部静夫少将碑文)、『日露戦役戦病没者之墓』(林銑十郎大将碑文)、『青島及西比利亜戦役戦病没者之墓』(西川虎次郎中将碑文)、『殉職将兵合葬之墓』(第24聯隊長上村利道大佐碑文)、『満州及上海事変戦病没者之墓』(中牟田辰六少将)、『支那事変戦病没者之墓』(長瀬武平中将)、昭和57年に『大東亜戦争戦没者之碑』が関係諸団体により建立されました。
 墓地後方左側に『ガ島戦没者之墓』(昭和49年)、『拉孟雲南地区(ビルマ)戦没者之墓』(昭和59年)が戦友会、遺族会によって建立されました。
 後方中央には『満州及上海事変戦病死者合同碑』、『明治維新志士之碑』があり、その近くに個人墓等が10基ほどあります。
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 戦後建立された墓碑には由来の説明がありますが、戦前の墓碑にはそれがなく、終戦直後の混乱期に銘板が剥ぎ取られたものです。
 墓地も荒廃が著しく、当時の谷2丁目町内会長の呰上正身氏が近所の町内会に呼びかけて、福岡県が管理していた墓地は福岡市に移管されました。それ以降、墓地の清掃は福岡市から地元町内会に委託され、地域の人々の手で逐次されてきました。

 昭和60年からは、福岡県郷友連盟が主催して協賛団体と共に、毎年10月、陸軍墓地に眠る全英霊の慰霊祭を実施しています。
 その他、個別に『明治維新志士之碑』では9月20日護国神社により、『ガ島戦没者之碑』では最後の突撃日である9月13日に慰霊祭が行われています。『拉孟雲南地区戦没者之碑』では毎月7日に関係者がお参りされています。

 平成17年3月の福岡西方沖地震では墓碑及び内部に甚大な被害を受けました。急遽「陸軍墓地修復委員会」を発足し、協賛各団体、多くの県民市民からの寄付金及び役務提供によって修復改良が成就しました。
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